学科試験に合格した後、米国・サンジエゴ空港のPSAに送り込まれて  Simulaterと実機訓練約1ヶ月、JCAB審査に合格して帰国。
空の想い出その2
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初めての下地島訓練飛行場(沖縄県宮古島の近く)  このきれいな海に魅せられてこの後17回もこの島に滞在することに・・・!  ちなみに教官になってから、偉そうに口髭などを付けていました!?
日本国内の路線訓練を3-4ヶ月経て、最終審査、  若干24歳でCockpit Crewになる!  当時の沖縄はまだパスポートが要る時代だった!
1970年代航空業界は大量輸送時代に入り、Boeing727を大量導入!  3人編成のためFlight Engineerの養成が必須となった。  当時は整備経験が必須条件だったので、内外から募集が始まり、  ボクも応募して、1971年(23歳)に合格、ANAに入社!
航空業界は大型機の導入が始まり、ANAはロッキードL-1011を採用した。  米国・カンサスシティー空港のTWAで実機訓練。  このトライスターはコンピューター化され、時代の波を感じた!
米国での宿舎はサンジエゴ市内ではなく、  砂漠の中のブラウンフィールド空港の訓練生宿舎でした!
空の想い出その3
L-1011は約3年乗務して、B-727に戻り、  FE教官業務と、国際線チャーター便を担当!
29歳でFE教官になり、SIMと実機(下地島ローカル)訓練を担当  当時のSIMのVisualはアナログで地表模型の上をミニカメラが飛んでいた!